しぬまでいきよう

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湊かなえ『絶唱』感想

読書感想文

 

湊かなえ絶唱

 

 

 

 

 

 例えば、同じ国で同じ日に同じ時間に、4人の女性が大きな災害に見舞われたとして、全く同じ感情を同じように抱き経験する人は一体どれくらいいるだろうか。

 例えば、ある島に降り立った4人の女性がいたとして、どこかの道ですれ違ったり、同じ宿屋の違う部屋で同じ日に寝食をともにしていたり、別の日の同じ店で同じものを買ったりするかもしれない。そのなかで、全く同じ感情を同じように経験する人は果たして存在しあうのだろうか。

 例えば、私が学生時代に同じクラスで同じ授業を受けたクラスメート40人は、果たして同じ感情を抱き同じ思考に居たり、同じ進路を進むことになっただろうか。

 例えば、私が今まで見てきた映画やコンサートを同じ劇場で観ていた何百人もの人は、果たして同じ気持ちで同じ言葉で同じ感情を話し合っていただろうか。

  例えばこの物語に、同じ日に同じ時間に、たくさんの人が読み触れたとして、果たして同じ気持ちで同じ言葉で同じ方法で感情を示す人というのは、一体存在するだろうか。

 

 この『絶唱』という物語は、阪神淡路大震災を過去に経験した4人の日本人女性が、それぞれの求めるものを探しにトンガという南の島へ降り立ち紡がれていくものであった。各章の主人公となる彼女らには、当然、それぞれが歩んできた人生があり、そこで培ってきた経験や抱いてきた感情がある。そこに全く同じものというのは存在していなかった。

 主人公たちは、トンガの生活の中で異文化に触れ、そこから自分の内部に今まで抱いたことのない感情を抱いたり、かつては傷つき抑えこんでいた思考を解放し新たな道を進み始めたりする。

 

 私にとって、この物語こそが『トンガ』なのではないかと思った。『絶唱』を読み終えた後は、読む前とは何か違う感覚を抱いていたからだ。

 第4章の『絶唱』では『小説など何の役に立つだろうと、ふがいなさに唇をかみしめるかみしめる日々が続いたけれど、書く手を決して止めることだけはしませんでした。』(①p.315 l.4)という一文がある。これを読んだときに、何かこみ上げるものを感じた。無力さにさいなまれようとも、それでもこれだけは手放すまいと言えるものがあるということに対して、純粋な憧れと、同時に、悔しさを覚えた。そして、この物語からこれだけの大きな感情を受け取ったという事実に対する感動すらした。

 「『絶唱』を読む」という経験を通して、自分が抱いた感情、解放した思考を持ち、今立っている道で何をすべきか・何がしたいか、もう一度振り返ってみることにしよう。この本の中で、感情を込め夢中になって歌っていた彼女らと全く同じものは見つかりようもないだろう。自分にしか見つけられないだろうものとの出会いに期待して、今日も感情や思考に耳を傾けている。経験は、誰もとって変わることはできない。